| 牧師室より 2025年11・12月
嬉しいことに、クリスマス・キャロリングを、12月13日(土)17時15分〜45分、リニューアルした狛江駅前のステージで、日本バプテスト連盟多摩川キリスト教会と合同で行います。「ほこみち クリスマス・フェスティバル」というイベントの最後に両教会の有志で賛美します。狛江の街の人々に教会の存在を知って頂く良い機会です。みんなで神さまを賛美したいと思います。
10月末から11月末のひと月に教会員4名と求道者1名の葬儀が教会で行われました。三十年余りの私の牧会生活でも、ひと月に5回の葬儀を行ったことは初めてです。教会員4名のお一人は教会役員のお連れ合いで、人生の最期に病床洗礼により救われた方です。この紙面で救いの出来事が証しされています。お連れ合いと母上を同時に看取られ悲しみの癒えない中、信仰にある希望を指し示して下さったことに深い感謝を覚えます。
日本社会に「喪中」の習慣がありますが、教会では愛する者たちの死去によりクリスマスや新年の祝いが自粛されることはありません。葬式も神への礼拝であり、罪と死の力に勝利された主がほめたたえられます。悲しみや嘆きの満ちる世界に生きるからこそ、私たちはクリスマスを共に祝い、その祝いの中で新しい年の歩みを開始するのです。
「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。御子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」 (ヨハネによる福音書3章16節)
敬愛する皆様に降誕の主の恵みと平和が豊かにありますようにお祈りいたします。
新しき年、2026年を歩みはじめています。敬愛する皆さまに主の祝福が豊かにありますようお祈りいたします。
私たちの教会歴には全く関係のないものですが、日本社会の干支にちなんで、聖書における「馬」について触れておきます。聖書において「馬」は戦いなどの記述の中に登場してくるほか、あるメッセージの中で力や富の象徴として登場することがあります。聖書は神に信頼して生きることへと導く書物でありますから、神以外の力の象徴として馬が登場する場合、多くはネガティブな意味で登場してきます。人間は目に見える力に依存して自分の歩みを確たるものとしようとすることへの戒めとなります。一方、ヨハネの黙示録19章に白馬が登場します。この白馬に乗られるのは、主イエス・キリストと天の軍勢です。主イエス・キリストが白馬の騎手として登場するのです。十字架におかかりになる前に、子ロバに乗ってエルサレムに入城された主イエスは、終りの日には白馬に乗って到来されるのです。この白馬は勝利の象徴であると言えます。私たちは「主の祈り」の最後において「国と力と栄えとは限りなく汝のものなればなり。アーメン。」と祈ります。私たちが信頼するべき真の力は神にこそあり、主イエス・キリストにこそあるからです。
新年最初のオンラインの聖書の学びで、列王記上3章を学びました。ソロモン王は、夢の中で「願い事があれば、言いなさい。かなえてあげよう。」(5節)と主なる神に言われたとき、「どうか、この僕(しもべ)に聞き分ける心を与え、あなたの民を治め、善と悪をわきまえることができるようにしてください。」(9節)と答えました。主なる神はソロモン王の願いを喜ばれて祝福されました。年頭にあたって私たちは主なる神に何を願ったでしょうか。私たちが願うべきことも聖書から学び続けたいと思うのです。狛江教会は創立70周年を迎えます。今年も狛江教会で神の言葉に共に聞き続けて参りましょう。
教会暦では、2月18日(水)に「灰の水曜日」を迎えて、受難節(レント)の日々の歩みが始まります。日曜日を含めずに、40日間過ごして、 4月5日(日)主の復活日(イースター)を迎えることになります。この年度のまとめと新年度への備えの季節に、主イエス・キリストの苦難と死を想起して過ごすのです。私たちは、そのことによって、神さまの愛と赦しが自分たちに向けられている恵みをしっかりと心に刻みたいのです。
受験のシーズンです。私も若き日にどのような思いで本番に臨んだかを思い出します。若き世代の健闘と成長を願いつつ、各自に良き道が開かれるようにお祈りします。また、日本全国の諸教会・伝道所から御言葉に仕える者たちがひとりでも多く起こされ、東京神学大学をはじめとする神学校へと導かれるようにお祈りします。
1月末に高齢の教会員が逝去し、2月はじめに葬儀を行いました。ここ数年、葬儀の説教を準備する際に涙ぐむことが多くなりました。狛江教会の牧師として21年。神の家族として共に生きる日々が長くなるにつれて、牧師である私自身も遺族の一人であり、神の言葉によって慰められ癒されるべき一人であることを深く自覚するようになりました。葬儀は本当に身に堪(こた)えます。
2月8日(日)午後、教区総会議長としてある教会の牧師就任式の司式を務めました。牧師と教会員が誓約します。司式者として誓約のための問いの言葉を読みながら、毎回私自身が神の召しに襟を正されます。私たちの現在もただ主の御業によるものだからです。2月の受難節の日々を深い悔い改めをもって歩み続けたいと思います。
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