牧師室より![]() ![]() 2025年7・8月 ![]() ![]() 私たちの国・日本では8月になると、広島・長崎における原爆投下、第二次世界大戦終結を想起して、さまざまな祈りの集いがもたれます。日本基督教団の諸教会では8月第一日曜日に平和主日礼拝をささげます。世界に戦争の反対語である平和が実現することもまだまだ遠い道であることを想いつつ、教会は神の平和(シャローム)の幻の実現を祈ります。 戦後80年にあたって、日本基督教団と在日大韓基督教会が共同で発信した「平和のメッセージ」があります。その一部を引用いたします。 「1945年8月15日から80年の時を迎え、この日の名称が「敗戦/終戦/光復」と異なった言葉で表現されることの意味を、そして、その差異はいったい何によってもたらされるのかを噛み締めることができる私たちでありたいと思います。その際、私たちは、誰の痛みを受けとめたのか。自分の属する共同体や国家を超えて、帝国主義/植民地支配と戦争という暴力を導いた人間の愚かさによって苦悩と痛みを被ったすべての存在の痛みの声を聴く耳は備わっていたのかどうか、この時、深く顧みる者でありたいと思います。」 (教団新報5035号掲載 教団HP確認可能) 何よりも、神の言葉を聴けなくなる人間たちは、他者の痛みの声にも聴けなくなるということを深く思わせられます。私たち人間は自己中心(エゴイズム)の罪に陥ることにおいて平和を脅かす存在になってしまうのです。主なる神の御前に深い悔い改めに導かれたいと願います。 今年の平和主日礼拝において一人の女子高校生が洗礼を受けられます。主イエス・キリストの十字架と復活は私の救いのための出来事でもあったことを受けいれ、キリストに結ばれた神の民の一員とされるのです。主は生きておられることの証しです。私たちも信仰を新たにさせて頂き、神の言葉を共に聴き続け、神の平和(シャローム)の実現のために祈りを合わせていきたいと思います。
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